イスラム国(IS)と『小さな王国』(谷崎潤一郎)とのアナロジー

 本稿では、ロレッタ・ナポリオーニ氏にならって、アル・バグダディが率いる武装集団を、IS【イスラム国】と呼ぶ。ISISとかISILという名称を用いることもあるが(ホワイトハウス、イギリス首相官邸など)、ナポリオーニ氏の言うように、「『イスラム国』のほうが、ISISやISILという略称よりも、はるかに現実的、実体的なメッセージを世界に発信すると感じる」からである。

イスラム国 テロリストが国家をつくる時 (文春e-book)

ロレッタ・ナポリオ-ニ著『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』(文春e-book)

 イスラム国が引き起こしている事件の進展に強い憂慮と衝撃を覚えながら、イスラム国との連想から、谷崎潤一郎小さな王国という短い物語を思い出した。遥か以前に読んだ記憶はあるが、改めて読み直すため、1月31日東村山図書館でこの作品を収めた『少年少女日本文学館4』(講談社)を借り出し、同時に、急ぎ『潤一郎ラビリンスⅤ 少年の王国』(中公文庫)をAmazonに発注した。朝一番に頼んだものが、即日(同日夕方)届く。いつもながら同社の迅速な配送には感心しつつ、早速一読した。

(まことに残念ながら、翌2月1日の早朝に後藤さんの殺害の画像が流されるという衝撃の事態に接し、悲しみのあまり言葉もない。) 

小さな王国・海神丸 (少年少女日本文学館) 潤一郎ラビリンス〈5〉少年の王国 (中公文庫)

  この物語は、沼倉という転校生が、いつの間にか声望を得てクラスの覇権を握る過程を、ベテラン教師の貝島の目をとおして描かれるものだが、最後は貝島自身が生活の窮乏のために沼倉の覇権に取り込まれて行くという気味の悪い話である。

 沼倉が腕力だけではなく「勇気と寛大と義侠心」(河野多恵子さん、後述)によってクラス中を心服させ、次第に勢力を占めていく巧妙なやり方、彼が大統領となってクラスを統治する様々なシステムには目を瞠るものがある。

 官職の制定、大統領・副統領・大臣・顧問官などの官職とそれに応じた月俸、もっともらしい称呼の勲章や法律の制定、紙幣の発行など。 

 先ず最初は「オウム真理教」、現在では「イスラム国」とのアナロジーを強く感じる。新興勢力の権力の握り方のノウハウに強い類似性があるのだ。

 ただ統治の原理としては、上記で河野さんの指摘する徳目よりは、暴力と恐怖、そして過激なサラフィー主義がはるか上位に鎮座している。

サラフィー主義 - Wikipedia

 本作品では、この小さな沼倉共和国での「紙幣の発行」という発想に刮目する。

 河野多恵子さん(先日惜しくも亡くなられた)は、前記『少年少女日本文学館』の巻末のエッセイで、沼倉が大統領の発行にかかる紙幣以外の金銭を、絶対に使用させないことに決めた結果、「次第に沼倉共和国の人民の富は、平均されていった。貧乏な家の子供でも、沼倉共和国の紙幣さえ持っていれば、小遣いには不自由しなかった。」と述べている。重要な指摘であると思う。

 また『潤一郎ラビリンス』の解説(千葉俊二)に引用されている伊藤整の言葉のように、「この作品は少年の世界に形を借りたところの、統制経済の方法が人間を支配する物語りである。」という見方もある。

 注目すべき点は、沼倉共和国では<富の再配分>が大統領紙幣を使うことにより実施されているということだ。教師の貝島のような分別ある大人が、赤ん坊のミルクさえ買えないという極限状態へ追い込まれて、富の再配分を行う沼倉共和国に救済を求めることになってしまう。

 イスラム国は、サイクス=ピコ協定で定められた国境線の破壊やカリフ制国家の建国などの大義名分を掲げているが、彼らの活動の根底には、銀行襲撃による金銭の強奪や文化財の盗掘、また身代金要求などの犯罪行為、そして油田の奪取、金持ち産油国からの資金援助など、豊かなところから富を移転させるという経済活動が最大の眼目としてある。そして兵士に高給を支払うなど、結果的に一種の富の再配分を行っていると考えられなくもない。

サイクス・ピコ協定 - Wikipedia

 世界は、いつの時代も富と所得の大きな格差の坩堝である。20世紀以降の近代国家は、社会福祉政策(*)と税制で富と所得の均衡化を図ろうとしてきたし、多少の効果は挙げたものの、それでも世界中に富の不均衡はなくなっていない。そのため、様々な怨念や嫉妬、そして貧困や社会的孤立に起因する絶望感が世界中に広汎にくすぶっている。

(*)国の社会保障費用(医療・介護、生活保護、各種補助金や手当など)が、国家収入に関わりなく独り歩きするようになり、その結果、国家は財政の大幅な赤字を抱えることになった。しかし、もし社会保障費用を国家収入の範囲まで大幅に削れば、国民の支持を失ってどのような政権でもたちどころに崩壊するであろう。

(トマ・ピケティの『21世紀の資本』もこうした関連で語られる部分もあるらしいが、なにしろ購入したばかりでまだ読んでいない。従って今はまだ言及しない。)

 イスラム国を始め、世界中で猖獗をきわめるテロリズムの底流には常にこうした文脈がある。一部の覇権的国家や社会の支配階層や腐敗政治家、あるいは巨大資本などに多くの富と権力が集中し、世界中に所得格差と貧困を生み出していることに対する怨嗟と憎しみが強いエネルギー源になっているに違いない。