ブルックナー交響曲第8番を久しぶりに聴く

 この数年は、ショスタコーヴィチマーラーシューベルトばかり聴いていて、本来体質的に合うブルックナーから遠ざかっていたが、今日ふと思い立ってブルックナーの第8交響曲を聴いて、感激を新たにした。

 初めにシューリヒト/ウィーンフィルを聴き、次いでムラヴィンスキー/レニングラードフィルを、そしてチェリビダッケ/シュトゥットガルト放送響と立て続けに聴いた。延べ3時間を超えた。手元にはまだヨッフム/ドレスデンシュターツカペレが待機しているが、少し休憩である。

 シューリヒトの第1楽章が始まると、不覚にも胸にこみあげるものがあった。

 ムラヴィンスキーは、昔LPレコードで、クナッパーツブッシュ/ミュンヘンフィルとともに愛聴していた。ムラヴィンスキーは大好きな指揮者で、ショスタコーヴィチ(特に8番の様々な版を)を中心に聞いていたものだが、このブルックナーはまことに心に突き刺さる。特に第4楽章にはいたく感服した。CDは平林直哉氏が制作したもので、復刻した音源の良さから、実に鮮明に再現できた。感謝である。

 チェリビダッケは、ミュンヘンフィルではなく1976年のシュトゥットガルト放送響とのもので、そのころNHK/FMでこのコンビで連夜放送されていたこともあり、ずっとテープで録音して繰り返し聴いていたものだ。ただ、ブル8は放送されたかどうかは記憶にない。ブラームスの4番が素晴らしかったことだけ覚えている。

 

 ブル8は、マーラーの9番とショスタコーヴィチの8番とともに最も愛好するシンフォニーである。マーラー9番は今年サイモン・ラトル/ロンドン響が来日して演奏するが既にチケットは手に入れてある。(9月25日)

 今年はほかに、アファナシエフシューベルトのピアノ・ソナタを21番を聴く予定もある。(10月9日)

 ところで、最近はあまり演奏会には行っていない。昨年のコバケンのベートーヴェンの第9以来のことで、良いことか悪いことか、はたまた齢を取ったせいか、音楽への執着が薄くなってきたようだ。音楽も、パスカルが言うように、「気を紛らすこと」の一つであろうか。

 

「われわれの惨めなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らすことである。しかしこれこそ、われわれの惨めさの最大なものである。なぜなら、われわれが自分自身について考えるのを妨げ、われわれを知らず知らずのうちに滅びに至らせるものは、まさにそれだからである。・・・・」(「パンセ」ブランシュヴィック版171、前田陽一訳)