アンドレアス・シュタイアー演奏会へ行く

 12月8日、トッパンホール(文京区水道1-3-3)へ、アンドレアス・シュタイアー演奏会を聴きに行く。

プログラムは下記のとおり。

シューベルト「4つの即興曲より、第1番、第2番」

シューマン「幻想小曲集」

シューベルト「樂興の時より、第1番、第2番、第3番」

ブラームス「6つの小品」

アンコール曲「樂興の時より、第6番」

 使用楽器は、お得意のピアノフォルテではなく、1887年製ニューヨーク・スタインウェイ(タカギクラヴィア所有)で、モダンピアノとしては初期のものだ。

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  曲目は、どうということのない小曲ばかりだが、こんなに面白く聴かせる技量は大変なものだ。一音一音が生き生きと躍動し、まるで鮎か鯉が跳ねているようだ。素人耳でも、テクニックの確かさ、鮮やかさは凡百の演奏家とは別次元であることが感じられる。

 シュタイアーは、専らモーツァルトピアノソナタを愛聴している。(下記)

”Piano Sonatas”  Andoreas Staier,pianoforte(harmonia mundi)

CD1:K399,574,282,455,475,457

CD2:K330,331,332

 例えば、K331などは、のけ反るような驚くべき超弩級の名演で、この曲の演奏では、リリー・クラウス(1958年)とともに、こよなく愛している演奏だ。(トルコマーチの楽章はyou tubeでも聴くことができる。)

 しかし、今夜聴いた演奏は、極めてオーソドックスな、正道を行く堂々たるものだ。ただ、曲目が小曲ばかりなので、肩を張らずに、くつろいで聴くことができ、楽しい一夕となった。

 演奏終了後、買い求めたCDにサインを貰った。ありがとうございました!

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特定行政書士考査に合格

 10月8日にこのブログに書いた「特定行政書士研修」の考査の通知が、5日に届いた。

 結果は<合格>ということで、ひとまずほっとした。高齢の故、このところ記憶力も劣化しつつあるのは確かだが、これで何とか一矢を報いた(?)といった感じだ。

 もっとも合格率は66.7%なので、合格して当たり前ともいえる。まあ、そう大したことでもないだろう。

健康診断結果(27年6月29日受診)

2月9日のブログで、下記のとおりの血液検査のデータを示した。

             (26.7)(27.2)

AST(GOT)     32     26
ALT(GPT)      42        24
中性脂肪     305    239
空腹時血糖  126      121
尿酸         7.7       7.9

 さて、6月29日に半年振りに健康診断を受けたが、その結果は次のとおりであった。

AST(GOT)        20

ALT(GPT)         16

中性脂肪           97

空腹時血糖     114

尿酸                 7.0 

 みな驚くほど改善している。特に、ここ何年も200を下ったことのない中性脂肪の数値が、嘘か!と思えるほどの低さである。他の数値もそれぞれ改善しており、血糖値が少し高い以外は、ほとんど正常値と言っていいだろう。

 原因は何であろう。体重も、昨年8月以降小麦を口にしなくなってから、80キロ前後あったものが、なんと73~74キロとなって、6~7キロは減っている。それも1年をかけて徐々に減らしたので、今では少し余計に食べる機会があっても、リバウンドはなく、体重は安定している。BMIも25.0で、ほぼ正常値となった。

 やはり、小麦食品を食べなかったからだろうか。管理者は、生活習慣病の薬は一切飲んだことはないし、今も飲んではいない。というより、薬といったものは、歯の治療のときだけ時々服用するロキソニン以外は、一切飲まないといっていいだろう。唯一常用しているのは、漢方の「防風通聖散」のみである。これは通じを正常にするために飲んでいるのだが、もしかして中性脂肪を減らすのに役に立っているのかも知れない。

 感謝の意をこめて、もう一度『小麦は食べるな』(日本文芸社)の表紙を掲げておく。小麦を食べないのは、今では理屈を超えて、信仰に近いものになっている。 

小麦は食べるな!

ホワイトクラブ会合と初期の詩

 10月13日の午後6時から、N大学の親しい仲間が年に1度久闊を叙すために集まる「ホワイトクラブ」というネーミングの親睦会が開かれた。今年の参加者はやや少なく、8人であった。会員名簿では19名を数えるのに。

 今年はN市内の「I軒ホテル」で行われた。大学卒業以来の仲間だから、皆もう55年ほどの付き合いである。思えば気の遠くなるような長い歳月だ。

 例会が終わって、有志で市内の2軒のバーで飲み直したが、うち1件は在学中からある懐かしい店だ。ほとんど当時と一緒のスタイルで生き残っている。驚くべきことだ。

 ともに飲みに出た友人は、ほろ酔い加減で街を散策しながら、昔あったいろいろな店舗や、店舗の跡を見つけては懐かしげに思い出を語る。しかし、自分は、思い出しはするがあまり懐かしさを感じない。何故だろう。

 齢を重ねると感受性が喪われていくのだろうか。とすれば、懐かしさに浸る友人は、まだ若々しい感受性を持っているに違いない。ある意味羨ましく思うが、年齢を経るごとに、次第に世間のさまざまな事象への執着がなくなっていくのも自然なことだろうと自ら納得してみる。

 

 帰郷して2~3日後、街を一緒に歩いた友人Sさんから郵便封筒が届いた。その中には、『SUR』というN大学の文芸誌(N文学第21号)が入っていた。管理者が大学2年のころに発行されたもので、初めて活字にした自分の詩が載っている。この文芸誌はもう手元にはなく、管理者にとって幻の雑誌だった。五十数年ぶりの邂逅であった。

 あまり上品な作品とはいえないためか、海野朋夫というペンネームで載せたのだ。恥ずかしながら下記に再現してみる。今読むと修辞のおかしなところもあるが・・・・。どうかご笑覧のほどを。

 

   秋の生理     海野朋夫

 

(季節の激烈な発情がようやく収斂されてーーーーー)

ひきちぎられた萎えた陰茎

あるいはひきつった鈍色の喀痰

可視的非在たる蒼穹に虫様突起の濫造さながら

顫動増殖に駆られているうそ寒い群雲が汚れている

季節の膣からは透明な経水が散乱し

空中から角膜の剥げ落ちる白々しさ

垂れこめた古い羊皮紙のような疥癬

被虐嗜好性感覚が悲鳴をあげて

酸鼻きわまる裂傷をつくろとき

徐々に徐々に季節の胸は浸潤されてゆき

澄み渡る咳の音に耳を傾け

やがて西空でおびただしい血反吐を吐いた

陰金田虫の変態性欲者は

間もなく子宮癌で腐り果てるであろう

さもなければ癲狂院の長い廊下で

鉄のごとく陰険な忍耐を啖い尽さねばならぬ

そしてあまりにも苦い

精神分裂症を嘗め尽さねばならぬ

絶え間なく飛びしきる

赤茶けた脱陰毛に吹かれて

 

 

特定行政書士の研修と考査について、ついでに大学時代の授業の思い出

 ブログをしばらく更新できなかった。

 実は、8月4日から7日まで「特定行政書士法定研修」の講義に参加し、10月4日の考査日に至るまで、行政法の勉強に忙殺され、他の事には全く手が回らなかったのである。

 この歳になって、行政手続法、行政不服審査法、行政事件訴訟法、要件事実などに悪戦苦闘しながら取り組んでみたが、つくづく集中力の欠如と記憶力の衰えを痛感することとなった。

 

 この間、いろいろな学者の本を読むことになったが、塩野宏氏と橋本博之氏の著書が特に参考になった。とりわけ塩野氏の「行政法Ⅰ」(有斐閣)は、必要な部分だけ読んだのだが、その重層的で含蓄に富む文章と読み筋の深さにほとほと感銘した。また学習の合間に、遥か昔の学生時代をしばし思い出した。大学時代の行政法の授業は確か、東北大学からの出張講義の柳瀬良幹教授ではなかっただろうか。柳瀬教授は、当時のわがN大学で憲法を講義されていた菅野喜八郎先生(後に東北大学教授)の師匠であったはずだ。当時のN大学の教授陣は、東北大学法学部からの出張講義が多く、刑法の木村亀二教授、民事訴訟法の斉藤秀夫教授など錚々たる陣容であった。それはつまり、情けないことに、N大学ではプロパーの教師に事欠いていたことの証左でもあった。

 

 今度の行政法の学習により、われわれは毎日毎日、無数の各種行政法令や規則、あるいは条例が網の目のように張り巡らされた管理的な環境の中で仕事をし生活を送っていることがよく分かった。この世はまさしく官僚により限りなく統制された窮屈な社会である。10月5日から通知カードの配達の始まるマイナンバー制度がその一つの着地点であろう。

 

 webサイトでのプレ研修も、本番のビデオ研修でも、山田洋(一ツ橋大学)、橋本博之(慶応大学)、白藤博行(専修大学)の各氏の講義を聴いたが、管理者には橋本氏の講義内容が最も精緻で話術も優れていたように思えた。

 10月4日の考査の結果はどうであろうか。ここまでくれば、12月初めの結果発表までは待つしかない。

行政法1-- 行政法総論 第六版 解説 改正行政事件訴訟法