新詩帖6

 

詩人の肖像

 

怕ろしいことに

毎朝八時十分前に目覚める

目覚まし時計が喚き立てる直前にだ

これが習慣の魔か、単に歳のせいか

 

朝起きたときすでに

疲労困憊している

だが生きることそのものに

飽きたというほどでもない(つまり、自堕落なだけだ)

 

空(から)元気の素、朝からビールを飲む

それからパイプを一服して

アスピリン四分の一錠を服用する

心筋梗塞の予防だ

 

吐き気を催し、噫(おくび)を出す

鼻の穴を掃除しながら

NHKの朝のドラマを見ていると

嚔(くさめ)と屁が一緒に出る

 

黄色い小便を垂れ

雲古300グラムを放(ひ)り出すが

腐れかけた五臓六腑の端末の

汚れた尻穴(けつ)はきれいにならない

 

喉ちんこが見えるまで大口あけて

吐き出す臭い息に混じって

なぜに小奇麗な言葉が産み出されてくるのか

ああ造化の神よ、それが不思議だ

 

脳の配線は捩れ千切れたまま

憎悪、瞋り、嫉妬、好色、強欲、愚鈍、魯鈍、虚栄心

これらを栄養源にして

真田虫のように言葉を吐き出す

 

ガタガタのワープロからボロボロこぼれ出るのは

 

小賢しいテクニックで惰性的に書き散らす

 薄味で青息吐息の衰弱した詩

ご立派な文学理論半可通の

 屁理屈倒れのわけわからんちんの詩

無理やり言葉をひねくりこねくりしただけの

 世間知らずの学者先生もどきの詩

やたら冗々と、はたまた畳々と書き連ねただけの

 辛抱の限界超える垂れ流しの詩

カルチャーセンターで好評さくさくの

 春風のように爽やかで当たり障りのない詩

 

ふわわわわわわわあ、うわわわわわわわあ

みんな止めちまえ、木材資源の浪費だ、環境破壊だ

とは、ワープロの血の叫び

だが、わがへなちょこ詩人は涎垂らしてお昼寝中

我関せず焉

 

    *

 

ーー以下、へなちょこ詩人の夢中問答

  なお、回答者は三年前UFOにて銀河系の彼方から、二十億光年の時を越

  えてはるばる地球へやって来た、ユル・フン星人であるフーニ・ヤマラ氏

  である。氏は地球のあらゆる文化現象に対し実に造詣深い。

 

さて

詩とはなんぞや?

答えーこの世になくても誰も別段困るということがないもの

 

では

詩人とは?

答えー自ら名乗ることが困難で、二人称、三人称で語られる者

   敢えて一人称で語れば、どことなく胡散臭くて後ろ暗ぁい

   名刺の肩書きにも使えぬ役立たずの称

   まあ、一種の偽称

   言ってみりゃあ私生児みたいなもので、他人の認知を俟って初めて存在す

   る日陰者

   一時代に十人もいれば十分な存在

 

馬鹿な!日本だけでも5千人以上はいる筈だ

答ーうーん、ノーテンキ国家日本だけの超常現象かな?

  ハギワラさん、ナカハラさん、あとはミヤザワさんとかカネコさん、ええと

  あとは誰かいな?

 

ついでに

いま詩のおかれている状況は?

答ーええい、粗忽者めが!詩以外の状況を考えてもみよ

  政治も経済も思想も映画も音楽も小説もマス・メディアも

  地球人類の文化現象としては

  三、四十年前に終わってしまい

  今の浮き世で蔓延(はびこ)っているなにもかもが

  薄っぺらで小粒で、一見尤もらしいだけでパワーはなく

  口先だけの綺麗ごとと内輪褒めだけ

  体裁をつけるために物々しい勲章を乱発

  知識、情報、知的体裁は過剰だが、中味は溶解状態

  つまるところ

  詩だけがこうした運命を免れているとは

  ちと考えにくいのだが、如何?

  ガガゲギ グゴグメ ンゴトグゲフィン(ユル・フン語につき理解不能)

 

                            (1998年6月6日)

 

 

『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』エマニュエル・トッド(文春新書、'15.5.20)2/2-中国は西欧資本主義の利益計算の道具(?)

承前) 

 本書の中心テーマは、世界中で退潮しているアメリカのシステムと新しく勃興してきたドイツ帝国との対立の様相であるが、著者はそのドイツが中国と意思を通じ合わせ始めていると指摘している。

 そこで、トッドの中国観について少し触れてみたい。

 

 トッドの中国の将来に対する悲観的な見通しは、本書の編集後記に引用されている、『腐敗は「頭部」から始まっている』中央公論、2014年5月号、特集:独善中国の命脈)を読むとよく分かる。

中央公論 2014年 05月号 [雑誌]

 人口学者として、と断ってはいるが、日本では誰もが脅威と感じている中国に対しては、「中国は、アメリカと肩を並べ、世界を支配するに至る勢力として台頭するだろう、といったばかげた議論がなされてきました。」と断じ、末尾で「中国にとっての真の脅威は、みずからの誇大妄想的な野望だと思います。いかなる攻撃的な態度も、次のような事態を招きうるからです。すなわち、大部分の関係国が、アメリカを世界平和の保証人として再定義するという事態です。」と結んでいる。

 加えて、西欧の資本主義、特に社会の上層部、ビジネス関係者にとっては「中国は、大金を稼ぐための道具なのです。・・・西洋の資本主義にとって、中国を肯定的に言うことには利益があるのです。」と述べる。

 

 中国とは一衣帯水の関係にあるわが国と違い、遠いヨーロッパの叡知の考える世界情勢分析はわれわれにとって新鮮な驚きと同時に、どこか居心地の悪さ、端的に言えば”違和感”を覚える。

 この”違和感”の原因は、同じ雑誌の巻頭に掲載されている、川島真氏(中国外交史研究者)の全人代が示す習・李政権の課題』という論文が解き明かしている。

 川島氏は「G7の中で中国と主権問題を抱え、その周辺外交の対象になっているのは日本だけである。そのため中国の協調外交に接している先進国は、中国の強い外交を皮膚感覚で知っている日本の立場とは異なる。またその皮膚感覚を共有する周辺国の中で、中国と敵対可能な力を持つ国は日本くらいなのである。」という認識を披瀝しており、尤もであると頷ける。

 

 日本人は、愛憎の織りなす中国との長い隣国関係の歴史から、どうしても中国に対する感情がアンビヴァレンツに傾く。それに対し、ドイツなどのヨーロッパ諸国は十九、二十世紀における帝国主義宗主国という遺伝子がうずいてか、中国を形を変えた新しい経済的植民地と内心は考えている節がある。習近平の自尊心をくすぐって途方もない経済的利益を狙っているのだろうか。政治的にも経済的にも行き詰まったEUをどうにか生き永らえさせる最後の植民地として。特にEUのもたらす果実を独り占めしている感のあるドイツにおいてはなおさらである。

 AIIB参加もその文脈の中で考える必要がある。日本およびグローバルな覇権の挑戦者としての中国の軍事的脅威と直接対峙しているアメリカとが、AIIBに参加しないのはある意味当然とも言える。

 

 トッドは、世界の工場となり、輸出大国となった中国について「しかし、こうした中国の進路を決定したのは、共産党の指導者たちではなく、グローバル化した資本主義、つまりアメリカ、ヨーロッパ、日本です。中国の発展が今後どうなるかについて、最終的に何かを言うことができるのは、世界を実際に支配している米欧日です。・・・私の目から見れば、中国は、西欧資本主義の利益計算の道具にしか見えません。」

 日ごろ中国からの軍事的・政治的な圧力をひしひしと感じている日本から見ると、あまりに割り切り過ぎた、都合のいい見方としか思えない。

 中韓が結託して日本を歴史認識などで執拗に攻撃してくる現状は、新しい<元寇>ではないのかと考えてしまう。そうなれば、安部首相はさしずめ北条時宗だろうが、井沢元彦氏によれば(「夕刊フジ」2015年5月7日号)時宗高麗と元の攻撃を二度にわたって退けたにも関わらず、朝廷はこの結果を神風が吹いたから勝てたとして、救国の英雄である時宗には何の褒章も与えなかったのである。なぜなら、「それは日本人が軍事力というものを適正に評価しないからだ。世界で一番軍隊の力を軽視する民族と言っていいかもしれない。」

 「現実には侵略軍が攻めてきた場合は、それを撃退できるのは軍事力だけだ。しかし、そうしたものの効用を否定しようとすれば、とどのつまり超自然的な権威に頼るしかない。」

 現在において、神風、つまり超自然的な権威とは、いわゆる護憲派の奉る平和憲法なるもののことであると井沢氏は言う。同氏は、日本において軍事を語ることは、イコール人間の死との関わり、すなわち「ケガレ」として一種のタブーとなっているのだと分析する。

 

 ところで今日(5月26日)、ヨーロッパの今後の動向に強い影響を与えると思われるニュースが飛び込んできたのでチェックしてみたい。。

 報道によれば、ポーランド大統領に欧州統合の推進に批判的なアンジェイ・ドゥダ氏が初当選の見通しになった(「読売新聞」)。氏は、最大野党の右派「法と正義」を率いていて、カチンの森事件追悼70年記念式典に向かうために搭乗していた大統領専用機の墜落事故のため亡くなったレフ・カチンスキ大統領の愛国主義的思想を継ぐ人物とされている。

(この墜落事件については下記のとおり別のブロブに書いた。)

 また同紙では、スペイン地方選挙で反緊縮政党が伸張していると伝えられ、ギリシャのデフォルトが現実味を帯びるなど、EUにおけるドイツの一人勝ちと東欧・南欧の窮乏化に反発する動きが活発化してきている様子が伺える。ドイツも実は大変なのだ。二十世紀に、覇権を巡って2度も世界を破滅寸前に追いやったドイツが、3度目の正直を実現するかどうかは、極めて疑わしい。EUが空中分解すればそれで終わりだ。

 

                                                                 2/2

『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』エマニュエル・トッド(文春新書、'15.5.20)-新たな<神聖ローマ帝国>の出現か

「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書) (文春新書 1024) 

 本書は、アマゾンで購入予約して待ちかねていたもので、5月19日にやっと手元に届いた。エマニュエル・トッドというビッグ・ネームとこの刺激的なタイトルの組み合わせは、この上ない知的興奮を呼び起こす。帰宅後一気に読了した。とにかく、めちゃめちゃ面白い!

 

 この本の肝は、もちろん一番新しいインタビュー(2014年8月)<1 ドイツがヨーロッパ大陸を牛耳る>である。著者は、ドイツが債務危機を利用してヨーロッパ大陸全体を牛耳ろうとしていると分析した上で、ドイツ民族(国家)の本質を、

「第二次大戦の地政学的教訓があるとすれば、それはまさに、フランスがドイツを制御しえないということである。ドイツが持つ組織力と経済的規律の途轍もない質の高さを、そしてそれにも劣らないくらいに途轍もない政治的非合理性のポテンシャルがドイツには潜んでいることを、われわれは認めなければならない。」と喝破する。恐ろしいほどの深遠・深刻な認識だ。言葉のいちいちが胸に落ちる。

 ”途轍もない政治的非合理性のポテンシャル”という表現には思わず舌を巻く。近現代のドイツの政治的実存そのものの表現だ(翻訳が上手いのかも知れない。)

 本章の後半には「力を持つと非合理的に行動するドイツ」として取り上げ、「ドイツの指導者たちが支配的立場に立つとき、彼らに固有の精神的不安定性を産み出す。」としてドイツの指導者たちの精神分析を行って見せる。鮮やかな手際だ。

 

 著者のドイツについての諸分析を読みながら思わず脳裏に浮かんだのは、これではドイツは、まるで新しい神聖ローマ帝国ではないかという妄想だ。すると、さしずめアンゲラ・メルケルザクセン公でもあるオットー2世(大帝)ということになる。

 ザクセンには、メルケルが卒業した大学のあるライプツィヒが含まれというのも奇妙な符合だ。ただ、帝国の版図としては、著者のいうドイツ帝国の方が遥かに広く、どちらかといえば本家のローマ帝国の版図に近い。(余談だが、わが娘も現在このザクセン地方の中の一都市で暮らしている。)

 

 トッドの言及は主にドイツを中心とするヨーロッパとロシア、そしてドイツ帝国と対峙するグローバルパワーとしてのアメリカで、アジア、特に中国に関する記述はあまりない。ヨーロッパにとって、国境を接することなく遠く離れた存在の中国とは地政学的に深刻な対立は生まれるはずもなく、政治的・経済的に利用する相手でしかない。関心が薄いのも無理はない。

 日本と韓国については「アジアでは韓国が日本に対する恨み辛みのゆえに、アメリカの戦略的ライバルである中国と裏で共謀し始めている。」と述べるにとどまる。

 中国については、別の章の中で、「中国はおそらく経済成長の瓦解と大きな危機の寸前にいます。」とありきたりで大まかな見通しを述べるにとどまる。大いに物足りないが、反面ヨーロッパ人のアジアへの関心のレベルを示すものとなっている。

(続く)

                                                          1/2

「ドイツの脱原発がよくわかる本」川口マーン恵美著(草思社、'15.4.22)

ドイツの脱原発がよくわかる本: 日本が見習ってはいけない理由 住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち (講談社+α新書)

 日ごろ国内外を跋扈している「反原発」の潮流にどこかうさんくささを感じてた矢先に<日本が見習ってはいけない理由>という副題のついた本書に接し、大いにわが意を得る思いがした。

 30年以上ドイツに住んでいるという著者の本は、以前『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』講談社+α新書)を興味深く読み、ドイツに4年近く滞在しているわが娘にも読ませたことがある。著者は元来音楽が専門なのだが、文明事象全般に対しても卓越した洞察力と冷静な分析力を発揮していて感嘆する。今回のレポートも極めて理性的かつ真摯で十分信頼に足る。勿論右や左の俗流イデオロギーとも無縁だ。

反原発」は、「辺野古移設反対」「反捕鯨」などとともに反体制のシンボルとして、すでにヒステリックで唯我独尊的な宗教色を帯びつつある。宗教色というのは、他者の批判を許さない非寛容のイデオロギーという意味である。

 もしかして、どこかで何者(何国)かが、日本のエネルギー政策を混乱させ、日本の国力を弱めるために情報戦を仕掛けているのかも知れない。そして純朴な多くの日本人が知らずにこうした詐術に加担してしまっているのだろうか。(うがち過ぎ?) 

 かつては「60年安保」や「三里塚」などが同列にあった。

 

 原発リスクマネージメントの側面のみを強調して巨大技術にリスクゼロという不可能を求める形而上学に批判的検証を加えた上で、同時に文明の存亡に決定的に重要なエネルギー問題としての視点から科学的に考察するという極めて平衡感覚に富んだレポートとなっている。

 

 この本の肝は、”あとがき”にある次の言葉に端的に示されている。

「日本が今ドイツを真似て、脱原発という無謀な道を歩むべきではないという思いは変わらない。ドイツと日本は、似ているようで似ていない。」

 

反原発」を声高に唱える人たちのシンボルとして礼賛されるドイツの脱原発の実相がこの本でよく理解できる。物事には日なたもあれば日陰もあるのだ。

 目次を見ると、「ドイツが脱原発を決めるまでの紆余曲折」「ドイツの再エネが直面した現実」「「ドイツの脱原発を真似てはいけない理由」などがあり、特にドイツの脱原発を真似てはいけない理由として、①電力を融通し合える隣国がない②日本には自前の資源がない、の2つの重要な理由を挙げていて、極めて説得力に富む。

 そして著者は次のように述べる。「本書の狙いは、ドイツの脱原発をけなすことではない。ドイツの脱原発が失敗といいたいわけでもない。・・・私が本書に託すのは、日本に絶対にドイツの脱原発を見習わないでほしいという願いだ。なぜか?それは、ドイツと日本の置かれている状況があまりにも違うので、日本がそのままドイツの真似をすれば、必ず命取りになるからである。日本がドイツと同じことをするのは、現在のところ不可能だ。それをどうか、読者にわかってもらいたい。」

 「脱原発は急いではいけない。長いスパンで、計画的にやらなければならない。」

 

 人類文明にとって死活的に重要なファクターは安定的なエネルギーの確保である。エネルギーが欠乏すれば人間も人間が築き上げてきた文明も瞬時に滅びる。今ほど原発を含むエネルギー問題全般に関する冷静で片寄らない議論が必要なときはない。

 本書は、こうした問題について考察するための、日本人にとっての必読の書だ。

新詩帖5

 

狂う女の日記

 

狂ったのだわ、妾(あたし)

魔法の鏡が

千々に砕けて散乱するように

妾の生肝に棲む生暖かい魂蟲が

千々に裂き千切れ飛んだのだわ

 

今朝の食卓で

砂糖にたかる蟻を集め食べていると

尻の下の古畳の目を抜いて

雨後の筍がニョキニョキと

飛び出て妾をこすりまくるのよ

 

今日はなぜか昼間から闇夜で

昼飯は漆黒をすくって食べたのよ

それはすぐ消化管から全身に染みわたり

卵巣まで真暗闇に沈んだわ

 

夕闇の触手は白身を撫でくる催淫剤よ

妾、トカゲのしっぽを切り

遣ったわ、ピストンみたいに

挙句はうろこを鞣してしまったわよ

 

晩飯のおかずは鬼の目よ

大江山の男鬼、女護が島の女鬼

あとは鱈の目、魚の目、鳥目、僻目

目づくしだわぁ

 

深夜、年代物の桐箪笥の

引出しに潜む悪い老婆が暴れるの

時々にっと嗤っては

干した蓬をしゃぶる小面憎さ

 

妾、それがいまいましくって

火炙りの支度にかかろうと

家の大黒柱引っこ抜いたら

家守が噛みつき、婆あ魂消て失せたわ

 

妾、なぜか狂った血脈を降り

時間の網目をよけながら

ぬるい生理の鉢を割る丑三つ時

うす惚けて狂う書割りに失禁したわ