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「王将」のリスクマネージメントの欠如

  11月3日、久しぶりに餃子を食べに妻と「王将」へ行った。生ビールを頼んで、餃子と他の料理を注文する。そこで店にとって大いに不名誉なことが起きたのだ。

 後でIphoneで店の写真を撮っておいたのだが、武士の情けで、写真は掲載しない。支店名も明らかにしないでおこう。ただ、西武池袋線の某駅の近く(東京都)とだけ言っておく。

 生ビールを飲んでいた妻が、顔をしかめて口から長さ2センチほどの異物を吐き出した。見ると、餃子の皮の一部分が塊になっているようなものだった。

 

 妻がすぐに男性スタッフを呼び、異物混入を指摘すると、すみませんと言ってそのビールジョッキを持ち去り、折り返し新しい生ビールのジョッキを運んできた。それで終わりだった。この若い男性スタッフは多分アルバイトなのだろう。過去、たまに訪れた時も、常にフロアの人員体制が貧弱であると感じていた。フロアスタッフは、少ないときはたった一人で、いつも汲々として駆け回っていたいた。彼らには可哀想だが、それも原因の一つだろう。

 本来は、責任者が出てきて謝罪し、異物の正体や、混入の経緯を説明すべきである。

 

 妻は異物を口に入れたことに動揺し、気持ち悪さを訴え、もちろん新しいビールも飲むことができず残した。他に頼んだ料理はほとんど味も分からないまま何とか食べ終えて、店を去った。

 妻は、二度とここには来ないと怒っていたが、当然である。

 異物が外部から入り込んだ不審なもの(蠅、虫、そのたの汚物)でなかったのは幸いであった。しかし、店内の食物の残渣であっても、感染の危険はない訳ではない。顧客に対する配慮が全く欠けている。

 

 勘定を払うときレジの若い女性に、この件はブログに書きますよ、と伝えたが、やや戸惑うような表情をしただけで、黙って頷くだけだった。このスタッフも恐らくアルバイトであろう。

 

 店舗の責任者でもないアルバイトのスタッフをこれ以上責めるのは酷であろう。

 この店舗は、直営店かフランチャイズ店か不明だが、いずれにしろ責められるべきは、業務手順(マニュアル)を現場に徹底することを怠っている会社の管理部門、ひいてはトップマネジメントを担うべきCEOなどである。

 業務上の手違いは必ず起こるものであるが、企業はそれらに適切に対処する体制を日ごろから構築しておくことが重要である。今時、RMを真剣に考えていない企業は生き延びるのが困難な時代となった。そういう意味ではこの企業には、RMについてのもっと真剣に考えたほうがいい。

 小生は病院勤務だが、RMについては四六時中頭を離れることはない。

 

 これは小生が体験したごくごくささやかな出来事ではあるが、皮肉にも会社の体制の綻びが垣間見えることになったのは恐ろしい。

 

 

TVドラマ「模倣犯」を見る

 9月21日~22日にTV東京で、宮部みゆき原作の「模倣犯」が放映された。

 原作は読んでいないが、ドラマは重層的で面白い仕上がりになっていた。

 出演者では、橋爪功の芸達者ぶりが傑出していたが、橋本といえば、30年前(1986年)に放映されたNHKドラマの「海も暮れきる 小豆島の放哉」(吉村昭原作)で主人公の尾崎放哉を演じていたのをいつも思い出す。私事だが、橋本氏と小生は同い年である。

 印象深いドラマで、橋爪功という役者をはっきり認識したのはこのドラマからだった。NHKが再放送してくれないかな、と思っている。是非もう一度見たいのだが、DVDもないので、見たくとも見ることができない。

 

メトロポリタン歌劇場の「メリー・ウィドウ」をWOWOWで観る

 7月13日、今日は仕事が休みなので、午後1時からWOWOWライブで、メトロポリタンオペラ、レハールの「メリー・ウィドウ」を観た。2015年1月17日にメトロポリタン歌劇場で収録されたものだ。ハンア役のルネ・フレミング女史はそのとき御年55歳(1959年2月14日生れ)だが、実に若々しい。

 ヒトラーが大好きだったというこのオペレレッタは、第2幕の《ヴィリヤの歌》、第3幕の、《唇は語らずとも》(いわゆる《メリーウィドウ・ワリツ》)の夢見るような美しい調べに彩られ、小生も非常に好きな曲である。

 手元には、ダグマー・シェレンベルガーがハンナを演じたDVDがある。 

Die Lustige Witwe [DVD] [Import]

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  メトロポリタンのものは、英語での上演だが、特に違和感は感じない。圧倒的で華やかな舞台作りと演出(何しろブロードウェイで人気の演出・振付家のスーザン・ストローマンの新基軸によるもの) とアメリカ随一のソプラノ歌手であるルネ・フレミングの闊達な演技と歌を満喫した。他にも、ブロードウェイのトップスターのケリー・オハラも登場するという豪華版である。面白くないはずがない。 

 そう言えば、ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」で、主人公がホテルのレストランに到着した場面と、チェックイン後にレストランへ降りて美少年タージオを初めて見る場面で、メリー・ウィドウの《唇は語らずとも》が流れてくるのを思い出した。(後者の場面では《ヴィリヤの歌》も演奏される) 

 無論、この映画のメイン・テーマ曲はマーラー交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」だが。

目の治療をする

 期末が近づくにつれ仕事に追われ続け、時間的にも精神的にも余裕がなく、ブログを書く余裕がなかった。久しぶりの更新である。

 

 さて小生も、3月にはいよいよ後期高齢者となり、思いなし身体のあちこちに不具合を感じることが多くなった。

 3月9日に清瀬市の某眼科を受診して、かねてより調子の良くなかった左目の病名と治療法が分かった。病名は「網膜静脈閉塞症に関連する黄斑浮腫」で、治療法はVEFG阻害薬の硝子体への注射である。薬剤名は「ルセンティス」という。注射は昨日(4月6日)行った。

 これが生まれて初めての眼科への受診であった。治療を終え、夕方帰宅したが、眼帯をした左目に不快な違和感が残った。早めに就寝し、目覚めた時には違和感はかなり薄れていた。

 今日(4月7日)、午前中眼科へ行き、処置の結果を調べるためのさまざまな検査を行った。眼帯ははずれたが、上瞼に少し赤い腫れが残った。多分しばらくは毎月注射を行うことになるのだろう。外来の高額療養費上限の費用がかかる。難儀なことだ。

「マイナンバー制度」について考える

 本年1月の職場の機関紙に、現時点でのマイナンバーに関する考えをまとめたものを掲載した。以下に再掲する。

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             「マイナンバー制度」考

                        

                    ビッグ・ブラザーがあなたを見ている

                    ジョージ・オーウェル『一九八四年』

 

 マイナンバー制度について考えるたび、ジョージ・オーウェル最後の作品で、ディストピア(反ユートピア)小説の傑作にして二十世紀文学の金字塔『一九八四年』が念頭に浮かびます。この小説では、ビッグ・ブラザーと称する独裁者と彼の率いる党が、近未来(この小説では1984年のこと)の世界を三分する強大国家の一つオセアニア全体主義的に支配し、君臨している陰惨で地獄のような怖ろしい世界が描かれています。

 

“「ビッグ・ブラザー」は、過度に国民を詮索し、管理を強める政府首脳や、監視を強めようとする政府の政策を揶揄する際に使われるようになった。”(Wikipedia

 

 この作品の完成は1949年で、時代の状況からしばしば、ビッグ・ブラッザーはスターリンとの、ビッグ・ブラザーとともに党を結成したが、後に党の異端として憎悪の対象となるゴールドスタインがトロッキーとのアナロジーで語られてきました。昨今の東アジアの某国などとの類似はともかく、現在の日本に引き当ててみると、ビッグ・ブラザーはどうやら官僚機構となりそうです。

 政治家や政府は国民が総選挙を通じて取り替えることが可能です。しかしいくら不都合があっても、国民が官僚機構に直接影響力を行使することは不可能です。官僚機構は岩盤のように強固で、国民にとってアンタッチャブルな存在です。

 オーウェルの作品に登場する国民監視装置のテレスクリーンは、マイナンバー制度で2017年1月から導入予定の「マイ・ポータル」の発展型に思えて仕方ありません。

 また、この小説を構成する重要な要素の一つである「二重思考」のパフォーマンスは、真意を押し隠しつつ、それと相反する建前を滔々と公言する官僚の身についた習性でもあります。 

 マックス・ウェーバーは、官僚制の本質について、その権限たるや常に極めて大で、その仕えるものが議会であれ、大統領であれ、専制君主であれ、立憲君主であれ全く変わることはなく、官僚が教育ある専門家とすれば、これら(彼ら)はただのアマチュア(素人)に過ぎないと喝破しています。(『官僚制』)

 

 マイナンバー制度は一応、社会保険・税・災害対策の三つの分野で活用することを主たる目的として制度設計されています。

 しかし実際はこの制度は、日本の官僚機構のビッグ・ブラザー化ではないのかと大いに憂慮しています、つまり官僚機構による国民の国家管理の総仕上げではないのかと。

 国はこの制度における行政の効率化と国民の利便性享受が、あたかもevenであるかのようにしきりと喧伝していますが、しかし明らかに前者に偏重した非対称の制度です。国家による国民生活への手出しが進むにつれ、国民の感じる拘束感が増大します。その結果、国民にとって国家の監視が強化された窮屈な社会が到来するのではないかと危惧します。

 

 平成27年9月9日のマイナンバー法等関連法案の一括改正により預金口座へのマイナンバーの付番が可能になりました。その結果、日本の官僚機構のヒエラルキーの頂点に位置する財務省が、日本人一人一人の全ての収入・資産をくまなく掌握し監視できるようになりました。国は改正の目的を、金融機関の混乱時におけるペイオフ、あるいは税務調査や社会保障制度における資力調査のためと称していますから、この制度の最大の受益者は財務省であることは明らかです。

 実は預金口座への付番を可能にする改正は、マイナンバー法ではなく、下記のとおり「国税通則法」の改正で追加された新条文でなされているので、なかなか油断がなりません。

 

(預貯金者等情報の管理)

第74条の13の2  金融機関等は、政令で定めるところにより、預貯金者情報等(預貯金者等の氏名、及び住所又は居所その他預貯金等の内容に関する事項であって財務省令で定めるものをいう。)を当該預貯金者等の番号(マイナンバー)により検索できる状態で管理しなければならない。

 

 一方、医療分野では、平成27年5月29日の「産業競争力会議課題別会合」において、安部首相及び重要閣僚の出席の下、以下のような内容が取りまとめられました。

(1)2017年7月以降、早期に医療保険のオンライン資格確認システムを整備し、医療機関の窓口において、個人番号カードを健康保険証として利用することを可能にする。

(2)医療番号を医療連携や研究に利用可能な番号として、2018年度から運用を始め、2020年の本格運用を目指す。運用に当たっては、2016年1月に始動させるマイナンバーのインフラを活用する。(ただし、マイナンバー法とは別の特別法で規定される。) 

 

 この制度は、通知カードの国民への配送の段階で早々とドタバタ劇の幕が切って落とされています。更にこれから、個人番号カードの交付、マイ・ポータルの運用、預金口座への付番、個人番号カードの健康保険証としての利用、医療番号の運用等々、広汎に制度が展開していくにつれ、一体どれだけの困難や混乱に遭遇するのか心配の種は尽きません。

 ブラジルでの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす(「カオス理論」)、というようなことにならなければいいのですが。

                                       

*『一九八四年』は、2009年の新訳版が<ハヤカワepi文庫>で刊行されています。