この著者については、2002年の『マネーロンダリング』(幻冬舎)を読んで、あまりの面白さに、職場の仲間に押し貸しまでして無理やり読んで貰ったという記憶がある。
爾来大変気になる作家で、『臆病者のための株入門』(文春新書)、『大震災の後で人生について語るということ』(講談社)やら『マネーロンダリング入門』(幻冬舎新書)などを読んで、それぞれに感銘を受けたものだ。2014年の『タックスヘイヴン』(幻冬舎)も買いおいてあるが、これから読む予定だ。
本書は、webサイトで見つけ、即刻電子版をKidleにダウンロードして一気に読了したが、実にエキサイティングであった。端的に言って面白すぎる。本書の読んでもいい方の「読書案内」における、著者の章別の分類の仕方も、それぞれの章に置かれたブックガイドも実に秀逸である。現在最もアクチュアルな知の地平を鮮やかに切り分けている。
それぞれの章は以下のとおりだ。
2.進化論
3.ゲーム理論
4.脳科学
5.功利主義(特にトレードオフへの言及が興味深い、また正義論も一読の価値あり)
著者は、<はじめに>で、膨大な知の圧倒的な堆積としての書物群(現時点で1億2986万冊といわれている)を前に、新しい読書術を提案する。
20世紀半ばからの半世紀における知のビックバンを分水嶺として読むべき本を切り分け、「ビックバン以前」の本は読書リストから(とりあえず)除外するという方法だ。
人生の残り時間が惜しくなってきた現在の自分にとって、目からうろこが落ちる思いだった。いささか衝撃的も受けたー成程そういう考え方があったか。
では、ケインズ、マルクス、あるいはヘーゲル、カントなどのドイツ観念論哲学、ニーチェやハイデッガー、フロイトなど、常に書棚の特等席に鎮座して強迫観念の権化となって自分を睥睨している本はもう読まなくていいのだ、万歳!
それでも最近はわが本棚でも、ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』やニコラス・タレブ『ブラック・スワン』、ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』、サイモン・シン『フェルマーの最終定理』『暗号解読』、マーク・ブキャナン『歴史は「べき乗則」で動く』、ブノワ・マンデルブロ他『禁断の市場』などの本が、前述の大思想家の領分を徐々に侵略し始めている。これらの著作は全て本書で触れられている。そうか、最近の自分の読書の方向は間違っていなかったのだ。
著者は、ジェームズ・ワトソンとともにDNAの二重らせん構造を発見したフランシス・クリックの次の言葉を、従来意識の問題を独占的に扱うものとされていた「哲学」にその死を宣告したものとして引用している。
「哲学者だけが意識の問題に取り組める、という考え方には何の根拠もない。何しろ哲学者は2000年という長い間、殆ど何の成果も残していない。」(『DNAに魂はあるかー驚異の仮説』)
また<あとがき>で、「古いパラダイムでできている知識をどれほど学んでも、なんの意味もない。」と結論を言い切る。
本書では、小説には触れられていない。ドストエフスキーやトルストイ、またバルザック、スタンダール、プルーストやジェイムズ・ジョイス、フランツ・カフカなども分水嶺の向こう側にいる作家だから読む必要はないのか。文学の対象は、自然科学と異なり、進化も発展もなくむしろ退化しつつある人間存在の本質とその人間たちが絡み合う愚かな社会である。従って小説には分水嶺はないような気がする。
ただ昨今、小説の類にそもそも読む必要や価値などあるのか、と深く疑っている。今のところ答そのえにたどり着いてはいないが。