マリア・グリンベルクのベートーヴェン・ピアノ・ソナタ

 ベートーヴェンのピアノ・ソナタは、ずっとフリードリヒ・グルダの全集盤を、後期の作品はポリーニ盤を愛聴していたが、文春新書の『新版 クラシックCDの名盤』で福島章恭氏が推薦している<マリア・グリンベルク>の演奏をyou tubeでいくつか聴いて、情感の濃い、女性らしい愛らしさに満ちた、又しばしば絞り出すような、突き詰めたような感情表出と決然として品格のある演奏にすっかり魅せられた。

 例えば、ピアノ・ソナタ 作品57 "Appassionata"。迫真的で1音1音に魂の込められた、”あざとさ”の微塵も見られない全人間的で真摯な演奏に感嘆する。(ちなみに、1960年のリヒテル45歳のレニングラードのライブはまさに”あざとさ”を地で行った曲芸的な演奏だ。リヒテルは元来好きな演奏家で来日時にも1度聴きに行ったほどだが、この変幻する異様なスピード感を持った演奏だけには違和感をぬぐえない。)

 本来、嫉妬深く、偏見に毒され、朝から晩まで自分のことしか考えない我利我利亡者である人間という存在の中で、かくも魂の高貴さを表現できる者がいるというのはなぜだろう。これが人間の不思議であり、この世に何がしかの救済が生み出される由縁でもあろう。


Maria Grinberg plays Beethoven Sonata No. 23 in ...

 グリンベルクのベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全集の中では、後期の作品109、110、111が最も聴き応えがある。人の生きる悲哀を優しく包み込むような、また彼女の自己省察的な側面がよく出ている演奏で、ポリーニの演奏に迫る。特に作品111、この彼女の歩んできた苛烈な人生の集大成ともいうべき演奏には胸を打たれる。そして聴く者に大いなる慰めをもたらす。(ただ、曲へのアプローチの仕方もコンセプトもポリーニとは異なっていて、まるで別の曲を聴いているかのような錯覚を覚える。)

 スケールの大きさや超絶的なテクニックの点では彼女に勝る演奏家はいるだろう。それでもグリンベルクは掌中の珠とでも言うべき大切な、滋味のある美しく愛すべき存在である。彼女の心洗われる演奏に感謝を捧げつつ聴くとしよう。 

 AmazonでもHMVでも手に入らなかった全集のCDを、楽天ブックスでようやく手に入れた。