佐藤優の新刊「世界史の極意」(NHK出版新書、'15.1.10)はコミックとして読めば問題なし!

世界史の極意 (NHK出版新書 451)

  本書も、冒頭からエリック・ボムズボームやフランシス・フクヤマや、(始めて聞く名前だが)アリスター・E・マクグラスなどの著書が引用され、煙に巻かれる。著者お馴染みの手法だ。

 本書では「アナロジカルに歴史を見る」センスを磨こうということがキモとなっている。著者は、「世界史を通じてアナロジー的思考の訓練することは、まず、未知の出来事に遭遇したときでも、この思考法が身についていれば、対照を冷静に分析でき、さまざまな場面で、説明スキルを向上させる効用を持つはず」という。これは、当たり前すぎて、仰せのとおりとと言うしかない。

 しかし、アナロジー訓練には以上の実利的目的とあわせて、別のねらいがあるという。別のねらいとは、驚くなかれ、「戦争を阻止すること」だそうだ。

 ここで著者は、前記のボブッズボームの見方を敷衍して、ウクライナ問題やイスラム国の拡大など、「戦争の危機」を感じさせる出来事と第一次世界大戦以降の戦争の時代とのアナロジーを指摘する。ここまで至れば、アナロジーの意味の論理的で精確な理解が必要となる。 

 Wikipediaでは、アナロジーについて「特定の事物に基づく情報を、他の特定の事物へ、それらの間の何らかの類似に基づいて適用する認知機能である。」とした上で、「問題解決、意思決定、記憶、説明(メタファーなどの修辞技法)、科学理論の形成、芸術家の創意創造作業などにおいて非常に重要な過程であるが、論理的誤謬を含む場合が高く、論証力としては弱い論理である。」説明する。

 このようにアナロジーは堅固な論理構築の手法ではない。類推事象の選択や取扱いにおいて、自己の主張の論証に役立てるため、都合のいい結果や変化を導出できるよう作為をほどこす余地がある。従って、アナロジカルな見方は両刃の剣となりかねない。少なくとも、歴史を理解する上で、金科玉条として崇め奉るほどの論理手法とは言い難い。

 それを頭に入れた上で、あちこち疑問符を振り掛けながら本書を読むべきだろう。

 ただし、著者の他の本と同様、読者が楽しめるように、複雑に絡み合ったややこしい事柄を捨象し、物事を単純明快化した、快刀乱麻の快感を味わうコミックとして読むならば別に問題はない。であれば、あれこれ目くじらを立てるのも大人気ない。管理者もそのような感覚で一晩で面白おかしく読み終えた。知的エンターインメント=コミック作品としての筆力はなかなかのものである。

 その意味合いでは、管理人は『獄中記』(岩波書店)以来の佐藤優氏の熱心な読者でもある。

 なお、第3章におけるイスラムの腑分け(シーア派、スンニ派、ハンバリー学派、ワッハーブ派など)は明快で理解しやすいが、例えばシーア派の成り立ちについては説明が簡単過ぎる。今に至るスンニ派との深刻な対立の根っ子のところが十分読者に伝わらない。まあ、本書のような簡単な書物ではやむを得ないかもしれないが。 

 

*参考までに、哲学小辭典(岩波書店、S.22.9)から「類推」の項の一部を引用する。

類推(英 Analogy;analogikal inference or argument)

[Ⅰ][論]  類比(類比的推理)、比論ともいふ。・・・類推とは類似点を基礎とし或特殊場合から他の特殊場合をに推及する推理で演繹的推理とも帰納的推理とも違ふ。その一般の形式は'Aは c,d,e なり、Bも c,d,e にして又 f なり。故にAは f なり。' 類推の際の注意点は 1) 比較される類似点は本質的且積極的属性なるべきこと、2) 推定される属性は既知類似点及び他の本質的属性と相合的なるべきこと。類推の結論は所詮蓋然性を脱却し得ぬもの故後から事実に依って證明せねばならぬ。