日本のネット文化、匿名が当たり前は世界の恥(伊東乾氏)

 1月26日のJBpressに、伊東乾氏(作曲家、東大准教授)が『イスラム国による人質殺傷事件を笑い話にするな!』というタイトルで、イスラム国人質事件に関連したいわゆるコラ画像(日本語ユーザーが2次的に加工した”コラージュ”)を強く批判した文章を掲載している。

 また、それを考える上で、「私たちがすっかり見慣れてしまったネット上で、今現在起きている問題について、真剣に考えてみたい」として、日本のネット文化について、イスラム国とつまようじ事件を引き合いに出して論じている。


 伊東氏は「責任所在が明確でない情報発信は信憑性の低いメッセージを流していること、匿名発信とは実のところ偽名での情報行為にほかならないことを教えます」と言い、ネット上で匿名を当然とする文化を「押しなべて、責任主体を隠蔽して問題を回避する、つまり『怪文書化』に直結している」と断じる。

 そして「インターネット環境は瞬く間に『怪文書の森の中に例外的にまともなものがある』情報クラスターになってしまいました」と嘆く。

 伊東氏はかねてより、ネットワーク情報を取り扱うルールを東大教養部で教えてきたそうだが、「日経ビジネスオンライン」を通じて、こうした問題を100万単位のネットユーザーに届けることができるようになって直面したのは、「既に日本社会に流布してしまった、誤った、また低劣なネットワークリテラシーの崩壊状態そのもの」だったと言う。

 

 ブログなどで本名を明らかにしているのは、有名人のいわゆるオフィシャル・ブログがなどが主で、他には、松岡正剛氏や池田信夫氏などの著名な文化人のブログが見られる。しかしそれ以外の大部分は、本名は出さないケースが多い。匿名であっても、趣味で音楽や旅やグルメや読書感想をテーマにしているのであれば(管理人もそれをやってきたが)、何の害もなく、ただ壮大な浪費であるに過ぎない。管理人のものを含む多くの無意味な情報発信の残骸が、巨大なネット空間を、異常発生したクラゲのように果てしなく浮遊しているだけだ。(そう言えば『古事記』に「浮ける脂の如くしてくらげなすただよへる時に」というくだりがあったな。)

 伊東氏が具体的に取り上げているのは、コラ画像のような「誤った、また低劣な」映像がアップされているYou Tubeといった動画媒体であるが、匿名性に守られたブログを含むネットワークリテラシー全体を対象に言及しているのは無論のことである。

 

 さて、他人ごとのように書いてきたが、ではお前はどうかと問われれば、少なくとも発信情報の管理人として姓名は明らかにしている。以前のブログでも、ローマ字表記ではあるが、本名を用いてきた。プロフィールで肖像写真も載せている。ブログの内容も、何かへの誹謗中傷のようなことは厳に慎み、常に節度を守るように注意してきた。

 このように、伊東氏の嘆く匿名で隠蔽することだけは、(十分ではないかも知れないが)何とか避けるようにしてきたつもりである。

 しかし管理人も、ネット環境が伊東氏の言う「怪文書の森」であり、「誤った、また低劣なネットワークリテラシーの崩壊状態」に直面していることは痛感している。これが果してネット社会が必然的に内包している痼疾なのかどうか、真剣に考えるべき時がきている。